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農林水産技術会議

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国内における研究開発事例を紹介します!(国立大学法人 大阪大学 大学院 工学研究科 生物工学専攻 村中研究室 編)

代謝を制御して新しい価値を生む~ジャガイモの天然毒素低減研究~

消費者の理解を得るために

 ゲノム編集技術は世界的にも新しい技術で、まずは知見を蓄積しつつ、消費者の理解を得ながら進めていくことが重要です。そのため、流通等に先立ち、開発者等は関係省庁に事前相談を行い、食品等の安全性や生物多様性確保の観点から問題がないか、外来の遺伝子が残っていないか、狙った塩基配列以外が編集されてしまう現象(オフターゲット)が起こっていないかといったことに関して、専門家に意見を伺い確認しています。問題がないことが確認できれば、開発者等は関係省庁に届出や情報提供書を提出し、各省庁はこれを受理し公表しています。このように情報をきちんと公開し、消費者の理解を得ながら進めていくことの重要性を村中教授も感じています。そして、ゲノム編集なら安全ということではなく、ゲノム編集とはそもそもどのような技術なのか、育種とは何か、といった根本的な考え方から丁寧に伝えることを大切にしてきたそうです。

写真 見学会の参加者に天然毒素低減ジャガイモの説明を行う村中教授

「四倍体」という育種の壁

 ところで、ゲノム編集技術は、ゲノム中の狙った場所を正確に切断できるというのが大きなメリットとして語られますが、ジャガイモではもう一つ大きなメリットがあります。それは、四倍体であることによる育種の困難さを克服できるということです。「四倍体」って何? 何が“倍”なの?と思った方もいるのではないでしょうか。

 例えば、ヒトの体細胞は染色体のセットを二つ、精子や卵の生殖細胞は一つ持っています。一般的に、「その生物は〇倍体」と言うときには、体細胞が染色体を何セット持っているかで考えます。ヒトは2セットなので二倍体と言うことになります。ジャガイモはその倍の四倍体で、染色体を4セット持っています。ジャガイモにも、原種など二倍体のものはありますが、食用として重用されている品種のほとんどは四倍体です。メークインも男爵も四倍体です。四倍体になるとバイオマス、つまり食べられる部分が大きくなるため、育種の過程で四倍体が選ばれてきました

 四倍体のジャガイモの育種はなぜ大変かという点については、本文では簡単に説明するに留めたいと思います(詳しくは巻末参考3を参照)。

ある遺伝子を完全に働かないようにしようとする場合、その遺伝子を全て働かなくする必要があります。二倍体の植物であれば2セットの染色体にそれぞれ遺伝子が存在するので、2か所の遺伝子を働かなくさせれば良いわけですが、四倍体の場合はその倍の4か所の遺伝子を働かなくさせる必要があります。染色体のセット数が増えるほど、その組み合わせの数は増えるので、四倍体で交配による育種で行おうとすると、非効率という言葉では片付けられないほど大変になります。しかも、ジャガイモには同じ株の中で受粉すると種ができにくかったり、近親間の交配では子孫に良くない性質が現れやすくなったり、そもそも花粉ができにくいという性質まであります。

 しかし、ゲノム編集技術を用いれば、4か所の遺伝子を一度に働かなくさせることができます。
 そして、ジャガイモの品種の多くは、種子を採るのが難しい替わりにイモをタネ代わり(種芋)にして増やすことができます。この種芋で増えた個体は互いにクローンです。交配では親子のゲノムは必ず異なるものになってしまい、親が持つ優良な性質が必ずしも受け継がれませんが、種芋で増やす場合は親子のゲノムは全く一緒になり、親が持つ優良な形質をそのまま受け継ぐことができます。

ジャガイモのゲノム編集ならではの苦労

 ところで、ゲノム編集するにも植物の場合、細胞にある細胞壁が文字通り“壁”となっていることは、無花粉スギの解説(※8)でも書きました。ゲノム編集のための“ツール”を細胞内に送り込むのに、細胞壁が邪魔になります。植物細胞にゲノム編集ツールを直接入れることは難しいため、一般的に植物にゲノム編集を行う場合、ゲノム編集ツールの遺伝子を一度遺伝子組換えによって細胞に導入し、ゲノム編集を行います。その後、ゲノム編集が成功した細胞のみを選抜し培養を行って、そこから個体を再生させることでゲノム編集された個体が手に入ります。

遺伝子組換えには、アグロバクテリウムという細菌の力を借りる手法(アグロバクテリウム法)を用いることが一般的です。アグロバクテリウムは、感染先の植物細胞に遺伝子を送り込むことができる環状のDNA(プラスミド)を持っています。そこにゲノム編集ツールの遺伝子を載せておくと、それによってゲノム編集をした個体ができます。そして後日、ゲノム編集した個体と、ゲノム編集を行う前の個体を交配することによって、ゲノム編集に成功し、かつ、ゲノム編集を行う酵素の遺伝子を持たない個体を得ます。

 しかし、先ほども出てきたように、ジャガイモでは交配によって親が持つ優良な性質が失われてしまうことが多く、交配を行うこと自体も難しいため、今回はアグロバクテリウム法を基に少し改良を加えた方法(村中教授らのグループで「アグロ変異法」と命名、図3)が使われました(※9)。

写真

 一般的に、植物のゲノム編集を行う場合は、ゲノム編集ツールの遺伝子が一旦、植物のゲノムに組み込まれることを期待しますが、アグロ変異法ではちょっと違います。アグロバクテリム溶液に茎の切片を浸すことで、茎の細胞にアグロバクテリウムを感染させます。この方法だと、プラスミドが細胞の中で漂っていて、運び込んだゲノム編集ツールの遺伝子がゲノムに組み込まれない(外来の遺伝子が残らない)状態になることがあります。放っておけば一定の確率で遺伝子が組み込まれますが、運び込んだゲノム編集ツールの遺伝子はゲノムに組み込まれる前から働きはじめ、一時的に大量のゲノム編集酵素(今回はTALEN)が作られます。一時的に大量に作られたTALENでゲノム編集が起こるはず、と村中先生たちは考えました。しかし、ゲノム編集が起こっているジャガイモをどうやって選抜するのでしょうか。

 普通は、プラスミドに本来ゲノムに組み込みたい遺伝子と一緒に、何かしらの薬剤をかけると色が変わったり、抗生物質を与えても死ななくなるような働きをする遺伝子を載せておきます。その遺伝子が組み込まれれば、色が変わったり、死なかったことを目印として、目的とする細胞や個体を選抜できます。しかし、今回は一時的に大量に作られたTALENでゲノム編集は起こっているものの“外来遺伝子が組み込まれていないもの”を選抜したいので、人海戦術が取られました。アグロバクテリウムを送り込んだ茎組織を培養し、増えてきた細胞塊のゲノムを片っ端から分析しました。

写真 マイクロチップ電気泳動装置を操作する安本助教
この装置でDNA/RNA断片の長さを分析
一度に多くのサンプルを扱えるので、人海戦術には必須

 「分析の担当者はかなり難色を示しましたが、だまされたと思って・・・と説得したところ、編集に成功した株が取れました。」と村中教授は苦笑いしながら教えてくれました。通常、抗生物質で選抜するときの成功確率は1/10ぐらいだそうですが、今回の方法で編集に成功した株を得られる確率は1/100ぐらいだったそうです。PCRでゲノム編集が成功していると思われる候補の個体を拾い、ゲノムを解析して、編集に成功しているかだけでなく外来遺伝子が残っていないことを確認します。また、SSR2が酵素として働いていないことは、ジャガイモに含まれる毒素の化学分析によっても確認しています。「編集に成功している個体を引き当てる確率がもっと低かったらいやでしたね。」と村中教授は語りますが、それは事前に分かることではありません。ゲノムの分析担当者の忍耐が呼び込んだ幸運だったのかもしれません。

写真 液体クロマトグラフィー質量分析装置(LC/MS)
試料中の分子を移動相中の移動速度で分離し、質量を分析。毒素の化学分析はこれで行う。

 外来の遺伝子が残っていないことは、野外で栽培試験をするためにはぜひとも達成しておきたい条件です。外来の遺伝子があると、生物多様性への影響などについて評価を受ける必要があります。今回開発した手法を‘さやか’という品種に適用し、SSR2遺伝子をゲノム編集で働かなくしたジャガイモは、組換えが起こっていないことが無事に確認されて、2021年4月から野外での栽培試験が始まったところです。

写真 野外栽培試験により収穫したジャガイモ (2022年秋収穫分)