このページの本文へ移動

農林水産技術会議

メニュー

国内における研究開発事例を紹介します!(国立大学法人 大阪大学 大学院 工学研究科 生物工学専攻 村中研究室 編)

代謝を制御して新しい価値を生む~ジャガイモの天然毒素低減研究~

 2021年9月に、ゲノム編集によって開発された、血圧の上昇を抑える作用があるGABAを多く含むトマトが一般に流通し始めてから1年以上が経ちました。可食部が多いマダイと、成長が早いトラフグの販売も始まりました。いずれも、ゲノム編集技術による“これまでよりプラス・アルファ“な特性が売りですが、今回取り上げるのは、ジャガイモが元々持つ天然毒素を作れないようにする”マイナス要素をゼロ“にする研究です。この取組は新しい価値を生み出せるのでしょうか?天然毒素低減ジャガイモを作ることに成功した、大阪大学大学院工学研究科の村中俊哉教授、安本周平助教を取材しました。

本記事のポイント

  • ジャガイモには、芽や皮の下で毒素(ソラニン等)を作るという難点があるが、その代謝経路が分かってきた
  • ジャガイモの多くの品種は、ゲノムが「四倍体」で遺伝パターンが複雑な上、交配で次世代を作りにくい性質があるため、交配での品種改良は困難を極める
  • そこで、毒素を作る代謝経路に関わる遺伝子をゲノム編集によって働かないようにすることにより、毒素低減ジャガイモを作ることに成功した

ジャガイモをもっと安全で利用しやすくするために

 読者の皆さんは、学校の調理実習でカレーライスを作りませんでしたか? 筆者は小学校で、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、そして肉を材料にした、ザ・定番とも言えるレシピを習いました。その際、「ニンジンは薄く、ジャガイモは厚く、皮を剥くように」と教わりました。ジャガイモは芽や皮のすぐ下の部分に毒素があり、調理で加熱しても壊れないため厚く剥く必要があります。

 2022年7月に、長野県の小学校で発生した茹でたジャガイモによる食中毒が報道されましたが、これは氷山の一角で、ニュースにはなりませんがご家庭やキャンプでジャガイモを食べて腹痛を起こしたり、味がえぐくて食べなかったりという話を、皆さん一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。この毒素は、農林水産省が「ジャガイモによる食中毒を予防するためにできること」という資料を公開して呼びかけているほど、注意が必要なものです(※1)。

 元々、芽や皮の下に多いジャガイモの毒素は、光が当たったり、傷が付いたりすると増えてしまいます。そのため、芽をしっかり取り除いて皮も厚めに剥けば食中毒の心配はなくなりますが、それは大きなフードロスにつながります。緑色がかった部分が無くなるまで剥けばよいとも言われますが、実は光が当たって緑色になることと毒素ができることは、独立の現象だそうです。つまり極端な話、毒素ができないジャガイモなら緑色のポテトサラダも作れるそうです。緑色になることは光を浴びたことの目安でしかないとすれば、いったいどこまで剥けばよいのか、不安になる方もいるかもしれません。

 ジャガイモは、炭水化物やタンパク質の含量は穀類に多少劣るものの、穀類にはないビタミンCや食物繊維を多く含むこと(※2)、単位面積当たりの収量が多いこと(※3)から、主食としている国もあるほど重要な農産物です。毒素がなければ、安全で保存や輸送が楽な、今以上に利用しやすい食材になるはずです。

メタボロミクス研究の進展

 生体内で起こる生合成や化学変化、それにともなうエネルギー変換のことを代謝と言います。この代謝でできた物質を解析し、ゲノム機能と対応させることをメタボロミクス研究と呼びます。

 「植物の代謝物質は、植物全体では100万種類とも200万種類とも言われています。それを全部扱うのはさすがに無理があります。そこでテルペノイドという物質の仲間、中でもトリテルペノイドの代謝経路がわたしたちの研究室のテーマなんです。」と村中教授は話します。しかし、テルペノイドだけでも6万種類ほどが知られています。ヒトの代謝物質は3,000種類ほどということを考えると、植物の代謝物質の多様性が桁違いであることがわかります。当然、メタボロミクス研究も桁違いに大変でしょう。

 「でも、研究対象がトリテルペノイドの仲間に特化していることで、いろいろな情報が蓄積され、遺伝子群についても理解が進みました。」と村中教授は続けます。ステロイドや、ソラニン・チャコニンといったステロイドグルコアルカロイド(SGA)と呼ばれるジャガイモの毒素もトリテルペノイドの一種なので、研究室の”守備範囲”だそうです。そして、SGAをはじめとするトリテルペノイドの生合成に関わる酵素の遺伝子群にまで理解が進んだことで、代謝制御に遺伝子レベルで取り組めるようになったと言います。

写真 村中俊哉教授(左手奥)にお話を伺いました。

毒素を作る代謝の流れを止めることに成功

 それでは、今回の解説の本題であるゲノム編集の話に入りましょう。
ジャガイモ特有の毒素を作る代謝経路のどこかを止めれば、毒素を減らせる、あるいは無くせるはずです。村中教授たちは、ソラニンが作られる代謝経路を調べ、コレステロールの生合成と毒素を作る代謝経路がつながっていることを明らかにしました(※4)。そして、コレステロールの生合成に関わるSSR2という酵素を作る遺伝子をゲノム編集によって働かないようにし、酵素が作られないようにしました。図1に描かれているのは、毒素ができるまでの代謝経路です。
 まず、デスモステロールという物質からSSR2(図1赤枠)によってコレステロールが作られます。そこから青い矢印に従って右に進むと、天然毒素のソラニンとチャコニン(図1青枠)に行き着きます。途中に出てくるPGA1、PGA2、16DOXは酵素の略称です。ソラニンやチャコニンができるまでにはいくつもの化学反応が必要で、反応ごとに特有の酵素が関わっているということは覚えておいてください。

写真

 ゲノム編集したのは、ポテトチップスやフライドポテトに向いているサッシーという品種でした。SSR2遺伝子が完全に働かなくなっていることが確認できた個体(#11,#71, #186)では、図2のグラフのように、作られる毒素の量が劇的に減っていることが分かります。なお、イモの収量が減るようなことはありませんでした(※5)。
 毒素の量が完全にゼロになっていないのは、後述のSSR1と言う遺伝子が、SSR2遺伝子と同じようにコレステロールを作る働きを少し行うためだと考えられています。
 そこで現在は、コレステロールから先の反応に関わる16DOXなどのゲノム編集に取り組み始めているそうです。また、毒素が減るだけでなく保存中に芽が伸びてこないという、うれしいおまけの結果も出ているようです。

写真

 実は、ゲノム編集を試みる前に、RNA干渉(RNAi)という方法(※6)でSSR2遺伝子の働きを抑える実験をしています(RNAiについては巻末参考1を参照)。

 SSR2遺伝子と塩基配列がよく似たSSR1(図1赤破線枠)という酵素を作る遺伝子があります。SSR1遺伝子が働くと、図1の上側にあるコレステロールから植物ホルモンをつくる代謝経路に進みます。RNAiでの実験では、このSSR1遺伝子の発現に多少の影響が出てしまいました。
 「ゲノム編集の場合は目的遺伝子のみを効率良く、高い精度で働かないようにすることができるんです。間違いが少ないんです。」と村中教授は語ります。代謝にかかわる酵素の遺伝子を切ると、代謝の流れを止めることができる。しかも、精緻にできるというのがゲノム編集技術のアドバンテージです。

 今回成功したSSR2遺伝子のゲノム編集は、TALEN(※7)というゲノム編集ツールを使っています。ノーベル賞で有名になったCRISPR/Cas9ではないの?と思った方もいるでしょう。これは、TALENの方が先に開発された技術だったからですが、天然毒素低減ジャガイモの開発が以前から取り組まれてきたことの証でもあります(TALENとCRISPR/Cas9の違いについては巻末参考2を参照)。