このページの本文へ移動

農林水産技術会議

メニュー

国内における研究開発事例を紹介します!(国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 森林バイオ研究センター編)

健やかな生活を支える林業のために~無花粉スギから広がる新しい林業~

無花粉スギの育種が拓く様々な可能性

 実は、スギでは自然に無花粉となっていた個体が20系統ほど見つかっています。現在、無花粉スギの育種の中心的存在となっている「爽春」もそのひとつです。他にも、少花粉や低花粉と呼ばれる個体も見つかっており、それらの交配によって優良な材質の無花粉スギを生み出す研究も行われています。では、なぜわざわざゲノム編集で無花粉スギを作ろうとしているのでしょうか。

写真 花粉をつくらない無花粉スギ、「爽春」
写真 組換え林木隔離ほ場。ゲノム編集スギがいつ頃何本程度植えられることになるか、研究の見通しについて話す小長谷賢一・研究室長

 それは、ゲノム編集が使えるようになれば、自然に発見された無花粉個体との交配と選抜のみに頼る育種より、格段に効率的にスギ花粉症の対策が進むと考えられているからです。
 各地のスギには、元々生えていた土地での育ちやすさに関わる遺伝的な特性があります。そのため、例えば積雪の多い地方に、雪が滅多に降らない地域のスギを親に持つ品種を植えても、うまく育たないということが起こります。各地特有の環境に適していて、さらに材質もよい無花粉スギの品種を交配だけで生み出すには、各地域で無花粉の遺伝子を持ったスギを複数見つける必要がありますが、このようなスギが少ない地域もあります。しかし、ゲノム編集を使えば、各地域の環境に合ったスギから材質がよいものを選び、効率的に無花粉スギを生み出すことが可能になります。さらに、既に研究が進められているように、CRISPR/Cas9を植物細胞に直接送り込めるようになれば、より迅速に花粉症対策が進みます。
 それだけではありません。無花粉スギの研究で開発された技術は、他の特性にも応用できます。
 建材や道具となった木材は、それが燃えたり朽ちたりしない限り二酸化炭素の“貯蔵庫”であり続けます。その能力を高めるために、例えば細胞壁の成分であるセルロースを蓄積しやすくするように特性を変えることで、一般的な木材としてだけでなく、集合材やセルロースナノファイバー(CNF)の原料として利用の幅が広がるかもしれません。それらの原料から作られた製品は、使われ続けている限り二酸化炭素の“貯蔵庫”であり続けます。切った後に新しく木を植えれば、森林として二酸化炭素を吸収する機能も維持できます。
 ただここで、藤原健・センター長から、「わたしたちは、何でもかんでもゲノム編集でやろうというのではありません。ゲノム編集はいろんな技術のOne of Themなんです。ゲノム編集が向いていることに使っていきたい。」と言う、総括コメントをいただきました。新しいからよいのではなく、目的に適った技術だからよい。それは何をすべきかが見通せているからこその言葉だと感じました。
 ゲノム編集された無花粉スギが、特定網室を出て実験ほ場に植えられるようになるまで、あと5年。生物多様性に配慮しつつ、人々が花粉症の悩みから解放され、健やかで、より豊かな生活を送れるようになるために、ゲノム編集で何がどこまでできるのか、見守りたいと思います。

記事印刷用PDF

プロフィール

写真 エリートツリーの前で。
右から七里吉彦・主任研究員、小長谷賢一・森林バイオ研究室長、倉本哲嗣・林木育種センター育種部育種第一課長、藤原健・森林バイオ研究センター長、筆者
雨の中ご案内くださり、ありがとうございました。

森田 由子(もりた ゆうこ)氏

 日本科学未来館 科学コミュニケーション専門主任。東京大学大学院理学系研究科で博士(理学)を取得。同大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻で助手を務める。その後、万有製薬つくば研究所研究員を経て、2006年から日本科学未来館に勤務。2012年から現職。
 日本サイエンスコミュニケーション協会、日本ミュージアム・マネジメント学会、日本科学教育学会に所属。主な著書に、「生き物たちのふしぎな超・感覚:進化が生んだ驚きのサバイバル戦略」などがある。

藤原 健(ふじわら たけし)氏

 森林総合研究所 森林バイオ研究センター長。1990年、京都大学大学院農学研究会博士後期課程退学(博士(農学))。同年、森林総合研究所入所。森林総合研究所木材加工・特性研究領域組織材質研究室長を経て、2018年から現職。現在は材質育種関わる研究に従事。

小長谷 賢一(こながや けんいち)氏

 森林総合研究所森林バイオ研究センター 森林バイオ研究室長。2004年、東京農工大学大学院連合農学研究科博士後期課程修了(博士(農学))。農業生物資源研究所(現農研機構)での特別研究員、森林総合研究所森林バイオ研究センター主任研究員を経て、2019年から現職。現在は樹木のゲノム編集技術の開発、薬用樹木の組織培養に関する研究に従事。

七里 吉彦(ななさと よしひこ)氏

 森林総合研究所森林バイオ研究センター 主任研究員。2005年、奈良先端科学技術大学大学院博士後期課程研究指導認定退学(博士(バイオサイエンス))。大学、研究所での特別研究員を経て、2015年から現職。専門は、植物分子細胞生物学。現在は、植物バイオテクノロジー技術を利用した樹木の分子育種の研究に従事。

倉本 哲嗣(くらもと のりつぐ)氏

 森林総合研究所林木育種センター 育種部育種第一課長。1997年、筑波大学博士課程農学研究科修了(博士(農学))。2000年、林野庁林木育種センター(当時)に入所。その後、森林総合研究所林木育種センター及び九州育種場での勤務を経て、2018年から現職。現在は、林木の優良系統の開発及び増殖・普及関わる研究に従事。

<参考文献>
※1 堀口申作、斎藤洋三「栃木県日光地方におけるスギ花粉症 Japanese Cedar Pollinosisの発見」(外部リンク)
※2 松原篤ほか「鼻アレルギーの全国疫学調査2019 (1998年, 2008年との比較) : 速報―耳鼻咽喉科医およびその家族を対象として」(外部リンク)
※3 「森林の間伐等の実施の促進に関する特別措置法」
※4 林野庁「特定母樹ってなんだろう」
※5 森林バイオ研究センター「スギ細胞へのタンパク質直接導入方法の確立 ―ゲノム編集技術の効率化に向けてー」(外部リンク)
※6 厚生労働省ウェブサイト「花粉症特集」(外部リンク)
「的確な花粉症の治療のために」(第2版)(外部リンク)
7 コンラッド タットマン「日本人はどのように森をつくってきたのか」、築地書館、1998
8 小椋純一「絵図から読み解く人と景観の歴史」、雄山閣出版、 1992
9 横山敏孝、金指達郎「花粉発生源としてのスギ林面積の推移」、メディカルトリビューン、pp.67-79、1990
※10 林野庁、森林資源の現況(平成29年3月31日現在)
※11 国土交通省「平成29年度土地に関する動向」(外部リンク)
注:※8の林野庁の統計とは、森林面積の調査手法及び時点が異なり数値のずれがあるため、林野庁の数値を優先させた割合計算を行っています。