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農林水産技術会議

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国内における研究開発事例を紹介します!(国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 森林バイオ研究センター編)

健やかな生活を支える林業のために~無花粉スギから広がる新しい林業~

大昔から人々の生活に役立ち、日本の林業を象徴する樹種であるスギ。1964年、日光市民でのスギ花粉症が初めて報告されて以来(※1)、花粉症に悩む人は増え続け、2019年には国民の38.8%にもなるという報告があります(※2)。花粉症に悩むわたしたちと、日本のくらしや文化など、様々な面において深い絆で結ばれてきたスギの関係はどうなるのか。そのヒントとなるであろう「無花粉スギ」の研究開発はこれまでも取り組まれてきましたが、今回はその中でも、森林総合研究所森林バイオ研究センターがゲノム編集技術によって開発を進めている「無花粉スギ」についてご紹介します。

本記事のポイント

  • スギは、多くの人が苦しむ花粉症の原因となる一方で、日本人の生活に欠かせない
  • 花粉症対策として無花粉スギの開発が進められているが、交配と選抜のみに頼った林木の育種には課題も多い
  • ゲノム編集技術を利用すると、材質がよく各地域特有の環境に適した無花粉スギを効率的に生み出すことが可能になる

そもそもスギとはどんな木?

 森林バイオ研究センターを訪ねた10月22日は、関東全体が冷え込み始めた時期でした。最高気温15度で雨模様の中、JR水戸駅の少し北にある十王駅から車で10分ほどで到着しました。

写真 センターの入口。「育種」という言葉が象徴的です。

 研究センターでは様々な林木(林業用樹木のことです。)の研究が行われていますが、そもそもスギとはいったいどのような林木なのでしょうか。
 スギは、分類学上は広義ヒノキ科スギ属スギ、学術名はCryptomeria japonicaといいます。学術名に「japonica」と付いていることからもわかるとおり、日本にゆかりがあるどころか、日本原産の常緑針葉樹です。植林によるものも含めると、北海道南部から以南のほぼ日本全土でスギを見ることができます。海外にもスギはあるのでは?と思われるかもしれませんが、スギは一属一種で、例えばヒマラヤスギはマツ科の植物です。また、屋久杉や秋田杉という種類のスギがあるのではないのかというと、どちらもCryptomeria japonicaで同じ種です。育った環境や樹齢、手入れをしているかどうかによって、随分と違う立ち姿になります。

ゆっくりと流れる時間

「最近まで、木は木材になるまで評価が難しかった。育てて木材にするまでにも時間がかかるのに。」と言う、森林バイオ研究センターの藤原健・センター長の言葉からは、樹木の生きる時間がどれほどゆっくりと流れているのか、考えさせられました。
 多くの農作物は、種子から育って実がなるまで数ヶ月ほどしかかかりません。良い特性を持ったものを交配させて結果を見る、また交配させて結果を見る、という作業を繰り返すのにかかる時間は、農作物と林木では桁が違います。農作物であれば収穫まで1年かからないものが、成長が比較的早いスギでも、材木として利用できるまで30年程度待たなければなりません。そこから加工して木材になるまで約1年。もし、その木材を使った製品の評価にも時間がかかるのであれば、さらに数年。まず、この時間感覚を理解するところから始める必要がありそうです。

写真 森林バイオ研究センターの藤原健・センター長の言葉に、時間の重みを感じました。

スギの育種を妨げるもの

「スギの”育種“は、農作物の”育種”とは少し違うんです。」と言う、小長谷賢一・森林バイオ研究室長からの言葉を聞いて、一瞬意味を図りかねました。
 スギは、一本の株(木)に雄花と雌花の両方を着ける裸子植物で、雄花は花粉を作って飛ばし、雌花は飛んできた花粉を受け取り(受粉)、種子を作ります。スギを始めとする林木の育種では、成長や材質といった特性の評価に相当時間がかかることの他に、スギでは「他殖」、つまり基本的に他家受粉することで種子が作られることが農作物の育種と比べて壁となっています。スギは自家受粉でも種子が全くできないわけではありませんが、得られた種子の発芽率が非常に低下するだけでなく、その後の成長も芳しくないこと(近交弱勢といいます。)が報告されており、より優れたものを生み出す「育種の壁」になっています。
 他殖の反対が自殖(自家受粉)で、被子植物の多くがとるこの生殖方法は、同じ株に着いた花の雄しべの花粉と雌しべで受粉するというもので、例えばひとつの花の中にある雄しべの花粉と雌しべで受粉して種子ができます。イネなどを思い浮かべていただければよいでしょう。自殖の場合、遺伝的な背景が同じもの同士、例えて言うなら“自分”同士で交配して次世代を生み出せるので、特性が固定化・均質化されやすくなります。特性の固定化・均質化が高度に進んだものは “純系”と呼ばれます。純系が確立されれば、後はその種子を取っておけば、いつでもその好ましい特性を再現できます。ですが、遺伝的な背景を“他人”と混ぜなければならない他殖で“純系”を得るのは非常に困難です。

写真 スギは他家受粉のため、親と子どもの特性が同じになる可能性が低い。

 しかも、スギのゲノムサイズは約110億塩基対と膨大です。育種が進んでいるイネのゲノムは3億9千万塩基対なので、その28倍もの大きさになります(参考:ヒトのゲノムは約30億塩基対です。)。注目している特性が子に受け継がれていることを確認するには、望ましい特性を生み出す遺伝子の塩基配列が特定されているか、注目している遺伝子と同じように受け継がれるDNAマーカー(DNAの塩基配列上の特定の位置に存在する、個体の違いを表す目印)の塩基配列がわからなければ、子どもが生まれ育ってから特性を見て推測するしかありません。
 さらに、望ましい特性が遺伝的に顕性(両親のどちらか一方に由来する遺伝情報の特性が子にも現れる。)なのか、潜性(同じ遺伝情報が両方の親から受け継がれるとその特性が子に現れる。)なのか、顕性であってもそれが表面から目に見えるものかどうかで、育種の難易度は変わります。今回のテーマである無花粉スギの育種は、花粉の有無は表面から確認できるものですが無花粉の特性は潜性なので、親の特性が子どもに現れる確率が低く、難易度が高くなります。
 さてここで、「精英樹」という考え方を紹介します。