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農林水産技術会議

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国内のゲノム編集研究開発事例を紹介します!(九州大学農学研究院附属アクアバイオリソース創出センター唐津サテライト編)

世界の食料供給に貢献するために~ゲノム編集マサバ研究に挑む~

2020年のノーベル化学賞は、ゲノム編集の新たな手法を開発した二人の女性科学者に授与されました。ゲノム編集は、生物のゲノムの狙った場所を切り遺伝子を変異させる技術です。新型コロナウイルスの迅速検出法の開発やがん治療など医学分野の研究が脚光を浴びがちですが、実用化に向けてめざましい開発が進んでいるのは実は、品種改良の分野。私たちの食がゲノム編集技術により、豊かでより環境・地球にやさしいものになるかもしれません。

品種改良のことを専門家は育種と呼びます。一言で育種といっても、穀物や野菜、果物、家畜など、種類により少しずつ異なりますが、ゲノム編集はとくに魚の養殖の分野で育種に飛躍をもたらすかもしれない、と注目を集めています。なぜ、魚の養殖でそれほど期待されているのか、作物や家畜となにが違うのか?
九州大学等が手がける「ゲノム編集マサバ」の研究最前線をリポートします。

青い海が広がる佐賀県唐津市で開発

訪れたのは、青い玄界灘を望む佐賀県唐津市の水産業活性化支援センター。
このセンターの中に、ゲノム編集マサバを研究する「九州大学農学研究院附属アクアバイオリソース創出センター唐津サテライト」があります。

写真 唐津市水産業活性化支援センター
出典:九州大学農学研究院アクアバイオリソース創出センター資料

さっそく尋ねました。「ゲノム編集マサバってどんなもの?」
ところが、研究リーダーの松山倫也・九州大学農学研究院教授がおもむろに語り始めたのは、「魚の養殖技術の確立と育種がいかに難しいか」ということでした。
回り道なのですが、この点を理解していないとゲノム編集技術のすごさはわからないのです。

写真 ゲノム編集マサバの研究をリードする松山倫也・九州大学農学研究院教授。
取材時は、マスク着用のうえ、新型コロナ対策に配慮してご対応いただいた。

魚の完全養殖は、難しい

魚の養殖というとウナギを思い出す人が多いかもしれません。しかし今、一般的に行われているウナギの養殖は、天然のシラスウナギ(ウナギの稚魚)を捕獲して大きく育てるものです。親ウナギに卵を産ませて受精させ、ふ化させ、育成してまた卵を産ませて……というライフサイクルを確立する「完全養殖」は、水産総合研究センター(現・国立研究開発法人水産研究・教育機構)において2010年に成功しました。
1960年代に東京大学等でウナギの人工ふ化研究が始まって以降、40年以上かけての快挙です。しかし、まだ成功率は低く莫大な費用がかかるため、商用化には至っておらず、天然のシラスウナギを捕獲して大きくする養殖が続いています。

魚の完全養殖は簡単ではないのです。加えて、魚のライフサイクルは種類によって大きく異なるため、それぞれの魚に最適な完全養殖法を研究開発しなければなりません。そのため、完全養殖できる魚はまだ、マダイやヒラメ、クロマグロ、ニジマスなど一部の魚に限られています。そして、魚の性質を改良する育種の研究は、完全養殖ができるようになって初めて、スタートします。

マサバの養殖については、九州大学が2012年、「農学研究院唐津水産研究センター共同研究部門」を設置して唐津市と共に研究を始めました。卵を成熟させるためのホルモン投与や飼料などさまざまな条件を検討し、完全養殖技術を確立し、2014年には市販を開始しました。
村山孝行・唐津市水産業活性化支援センター長によれば、「完全養殖したマサバは、寄生虫アニサキスのリスクが非常に低く、年間を通して脂がのった刺身になる「唐津Qサバ」として地域のブランドとなっており、唐津市も宣伝に力を入れている」とのことです。

写真 採卵、受精からふ化、育成、新たな採卵へと続くマサバの完全養殖技術は2012年に確立された
出典:九州大学農学研究院アクアバイオリソース創出センター資料

これまでの魚の育種には、何十年もかかっていた

完全養殖技術を確立できると、ようやく次に育種に取りかかれます。ところが、育種にも困難が待ち構えています。
たとえば、近畿大学は天然マダイの中から成長が早い個体を選び出して何代も飼育する中で、より成長の早いマダイを選んでゆく「選抜育種」を手がけました。人が、足が速い人や遅い人、身長が高い人や低い人など、姿形は同じでも細かく見れば違うように、天然マダイも個体により性質はさまざまです。
長い歴史の中で自然の紫外線や放射線を浴びたりして遺伝子が変異して性質が変わり、子孫に受け継がれているのです。そこで、近畿大学は成長の早さに着目して何代にもわたってマダイを選抜し続けました。
こうして得たマダイは、現在は「近大マダイ」として広く養殖されていますが、このマダイの確立までになんと、30年以上もかかったそうです。

また、ほかの研究機関でも、寄生虫の病気に強いブリや細菌性の病気に強いヒラメ等の選抜育種を行っていますが、こちらも長い時間がかかっています。
魚の育種は、時間の問題だけでなく、大きな水槽を並べて何代にもわたって飼育し、熟練した研究者が選抜し続けなければならないために、莫大な費用がかかってしまいます。